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「道徳経」5章
- 2008/12/21(Sun) -
「道徳経」5章
解説:呉炳宇
天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。
天地之間、其猶橐籥乎。虚而不屈、動而愈出。
多言數窮、不如守中。

天地は不仁(感情がなし)、万物を自然に任せる。
聖人は不仁(好きも嫌いもなく)、人を自由にさせる。
天と地の間は、橐籥(風皮袋:ふいご)のように、虚(少)なくしても屈(無く)ならず。動けば、さらに出てくる。
多言は数窮(言葉が足らず)になり、中(平衡)を守れば、うまく行く事もある。
「是以聖人,處無爲之事,行不言之教」聖人は無為の状態で万事を処理し、不言の教えを行なう(背中で教える)。

ゆったりと、自然に任せて、自由に生きればいいのだと思う。道に従って生きれば自然とうまくいくのではないだろうか。
私たちは、あれこれ考え過ぎてかえって、知恵はなく、言葉多く声高に論争しても、問題は解決できないでいる。私たちは、黙々と、腹を決めて、自分の足でどんと立っているしかない。そうして、在るものを上手に使って工夫して、楽しく節約出来れば、何とか今をしのげるのではないだろうか…
我有三寶:持而保之。一曰、慈。二曰、儉。三曰、不敢爲天下先。
慈故能勇。儉故能廣。不敢爲天下先。故能成器長。
今舎慈且勇。舎儉且廣。舎後且先。死矣。
老子に三宝有り。一つは慈(良い心)、二つは倹(節約)、三つは不敢爲天下先(実力以上の事はしない)。
慈から勇が出てくる、倹から出来る事が増える。実力以上の事はしないから長く続く。
今(金融危機)は、慈をやめて勇だけ。倹をやめて贅沢に成った。実力以上の事はばかりする。死(失敗)になるわけだ。
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道徳経1-2-3-4章
- 2008/12/07(Sun) -
「道徳経」4章
2008年12月6日、16:55:05 | 笑顔
「道徳経」4章
解説:呉炳宇
道冲、而用之或不盈。淵兮似萬物之宗。
挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。
湛兮似或存。
吾不知誰之子、象帝之先。
 道は冲(大容器)のように広くて、淵のように深い。だからどんなものを、いれても、いれても、いっぱいにはならない。
つまり、冲や淵は萬物の祖宗(或いは帰る宿)である。
道は、鋭(とげ)を丸くして、紛(争い)をなくする、その光が無くなると塵が見えなくなる。湛(無い)になっても、やはり存在する。(どこまで行っても道がある)
道は、誰の子かを知らない。おそらく象帝(上帝)の先祖だろうか。
「老子清静経」:大道無形、生育天地。大道無情、運行日月。大道無名、長養万物。
しかし、世の中の人々は生きているのは辛くて、あの世に行くのも不安である人が多く…
私たちは道を学び、楽しく生きて、安心してあの世に往く。そしてまた喜んで還ってくる「大道周而復始」(一周になると又、始めるから)。
子々孫々永遠に続くのである  (中国鍼灸院)
それでは、第5章であいましょう。

「道徳経」第3章
2008年12月4日、7:38:38 | 笑顔
「道徳経」第3章
解説:呉炳宇
3章
不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盜。不見可欲、使心不亂。
是以聖人之治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。
爲無爲、則無不治。

 賢い者や図々しい人を重く用いなければ、人々は争いをしないだろう。
珍しい物に高い価値をつけなければ、盜人は珍しい物を取らないだろう。
欲し物を見なければ、人々の心は乱れないだろう。
だから、聖人が国を治めるには、
人々の心を無にし、腹を飽食させ、野心を弱めてやり、筋骨を強くする。
そうすると、人々は欲張らなくなる。
それによって、賢い者や図々しい人がいても行動しないだろう。騙された人がいなければ、騙す人もいないだろう。
無為(権力者の為だけではなく、人々の為にすれば)は無不治(すべての問題を解決する)である。

 (老子からみた現代:このところ、世界は、100年に一度といわれる経済的混乱の嵐がふきあれている。
何故このようなことになったのか。経済の専門家たちは、内需の落ち込み等が原因であり、もっと消費を、消費をと提唱している。
 一方、生産と消費の間に、金融を生業とする者が増えた。いわゆる銀行や証券会社である。生産者と消費者の意思にかかわらず、市場の操作は、金融関係者のやり取りに翻弄されつづけて,正常な市場が働かなくなっている。つまり、金融泥棒が増えすぎている。
これも世界経済の混乱の大きな原因となっている。
 消費は美徳であるという間違った認識が資源の枯渇を招き、そうして、人々の、肥満した欲望が、環境の調和まで壊してしまった。
 人間の失敗は今も昔も変わらない。
老子の教えは現代を生き抜くためのおおきな智慧である。
 私たちは欲を抑えて満足することを学ばなくてならない。それを「不見可欲、使心不亂」という。私たちは、田を耕し、物を作り、よく働いて、みんな、ご飯を食べることができるようになる。そして、欲を抑えれば、争うことはない。
その実現のために「爲無爲、則無不治」のように、政治は働かなければならないのである。)

それでは、第4章で会いましょう。(中国鍼灸院)

「道徳経」第2章
2008年11月29日、12:23:50 | 笑顔
2章
解説:呉炳宇(中国鍼灸院)
天下皆知美之爲美,斯惡已。
皆知善之爲善,斯不善已。
故有無相生,難易相成,長短相較,高下相傾,音聲相和,前後相隨。
是以聖人,處無爲之事,行不言之教。
萬物作焉而不辭,生而不有,爲而不恃,功成而不居。
夫唯不居,是以不去。
美を美として人々が知る時には、そこに醜があるから。
善も善として知る時にも、不善もあるから。
美と醜。善と悪。
(お互い対立し、お互い支えあう、片方だけ存在しない)
この両者は、同じ処から出て名が違うだけである。
故に有と無はお互いに相生し、難と易も相成り、長と短も相形し、高と下もお互いに傾き、音楽と人声も相和し、前と後も相随する。
聖人は無為の状態で万事を処理し、不言の教えを行なう(背中で教える)。
また聖人は、万物を作れるとしても、自分から救世主(長)にならない。
持っても持たないと同じ気持ち、実力が有っても自慢しない。
成功しても、居功しない(功績を独り占めしない)。
居功しないから、功も無くならない。
即ち、凡人は、できない事をする、無理なやり方を大声で教える、失敗したら、人のせいにする。そうして、失敗を繰り返す。
聖人は(無爲)できる事をする、(不言)できない事を言わない、成功したら、皆さんのお陰である。そうであるから成功がつづく…。
老子の考え方は道と言う。道は道徳経の解説の鍵である。
それでは、第3章で会いましょう。

 

道徳経
2008年11月21日、21:18:12 | 笑顔
老子の道徳経
解説:呉炳宇
1章
道可道、非常道。名可名、非常名。
無名天地之始。有名萬物之母。
故常無欲以觀其妙。常有欲以觀其徼。
此兩者、同出而異名。
同謂之玄、玄之又玄。
衆妙之門。
 道は常識の道ではなく、非常識の道であり。
名は常識の名ではなく、非常識の名である。
 名は無い時から常に始まっているが、名を付けて時から誕生したと思いがちである。だから名は万物の母である。
故に常に無欲(客観)によってその妙(規律)を見る。
常に有欲(主観)を以ってその徼(動き)に従う。
この両者は、同じことから出て名が違うだけである。
玄は解りにくい、玄のまた玄は衆妙(すべて解りにくい)の門なり。
即ち、客観的に万物を観察し、客観的規律に従う。主観によって努力すれば、成功の門となる。
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